「愛があればお金なんて」というのは私には当てはまらない

「愛があればお金なんていらない」

とても美しい言葉ですね。

そんな愛、私も欲しいです。

しかし、現実には、それは無理なことです。特に私にとっては。


5月に諸事情で2年以上働いていた職場を退職しました。

辞める前の職場では、拘束時間が長いのに加え、職場になじめなかったのと仕事のプレッシャーに押しつぶされました。

PTSDクラスに心が傷つき、生まれて初めて「働くことが怖い」という心境に陥り、それは辞めた後も続きました。

そうして働かないでいると、働くことが怖いくせに焦燥感に陥り、それはグルグル悪循環。

思い切って、カウンセリング重視の心療内科にかかろうとして、何軒も電話予約をしようと試みるが「初診の受け入れをストップしています」「一番早くて3か月後です」という現実的に、お断りされてばかり。

働いていなくてお金がないから、保険の効かない一般的なカウンセリングを受けることができません。

息抜きに外出しようにも、外食代が払えません、交通費が払えません。

いや、必要経費と考えればいいのでしょうが、その時の私には「お金を使うことが怖い、罪悪感」でいっぱいだったのです。

まさに「見えない鎖でお金に軟禁されていた」そんな心境でした。

図書館で本を借りたり、自転車で出かけたり、お金のかからない方法もありました。

しかし、その時の私は、出費を減らすだけではなく、収入を得ないと、という焦りもありました。

雇用されるには、年齢で振り分けられる世代です。刻一刻と自分が年を取っていくことで、なおのこと、のんびりしている時間なんてないという焦りでいっぱいでした。

退職してから約2か月、迷走していました。今でもやめた職場へのトラウマは完全には解かれていないです。日本中どこに行ってもその会社のロゴは見かけてしまうから、むしろ海外へ移住するしか道はないのかとまで悩んでいました。


そんな折、藁をもすがる思いで見つけた仕事。しかしそれに応募するにも「これに落ちたらもう終わりだ」という怖さもあって、数日応募に躊躇していました。

思い切って電話をすると、翌日の面接となり、半日かけて履歴書と職務経歴書を仕上げました。

そして面接では、かなりしどろもどろになり、これはあかんなと思いましたが、翌日無事採用の電話。


すると、当面の収入の目途が立ったので、たがが外れたかのように、買い物三昧…

とはいっても不要なものは買っていません。

これまで必要で買おうと思っていたものをいくつか買いました。

テフロンがはがれてバリバリに張り付くようになった、フライパンの買い替え。


それと、少し気が大きくなったかな、ナニワ金融道電子書籍で7000円(笑)

あと、ネットカフェ(快活クラブ)にも行ってみた。

意外と無駄遣いもしてる?

だけど意外にも、この時期なのに、服は買っていません。

断捨離アンなので、流行のサイクルの早い洋服は、よほど必要に迫られないと買わなくなりました。

iPadminiも買いたくなったけど、優先順位は空気清浄機だなと思って保留。

それと、ボーナスないくせしてボーナス一発払いで買った冷蔵庫の支払いがそろそろです。


年末の車検で11年となるマイカーも、タイヤが夏冬ともに壊滅的にツルツルなので、車自体買い替えなのかなあとか…


どれもこれも、結局お金がないとできない事。

お金だけあって精神的には何にも満たされないのは辛いし、孤独感にさいなまれると思うけど、お金があることは、私に必ず「安心感」を与えてくれます。


お金は私にとって、「魔法の杖」なのかもしれません。

その「杖」の使い方を間違ってはいけませんね…

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